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ひまわりイラスト Amo Leda!  I love Leda. ひまわりイラスト

パンタナール通信連載、パラグアイ現地住民へのインタビューより
People want to tell you what they feel honestly from experiencing life in Leda.

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回
連載第9回
パブロ・アルガーニャ
パブロ・アルガーニャ
Pablo Argaña
エスペランサ学校長(44歳)2人の子供(16歳と19歳の男)

Q. どのぐらい先生をしておられますか?
A. 今年で23年目になります。21歳の時から始めました。

Q. 最初、来られたころの学校はどのくらいの規模だったのですか?
A. 私が最初に先生となった当時(1992年)は小学校4年生までで64人の生徒のみでした。そして2つの教室のみでした。

Q. 今は大きく変わりましたね!
A. 現在、生徒数が208名です。今年から高等部が誕生しました。

Q. 23年間学校の発展の生き証人ですね!
A. そのインフラの大部分をしてくれたのがレダの財団の皆様です。2002年には教室の階下の部分の床にセメントを張って教室として使えるようにしてくれました。2004年には3教室ある建物を建造してくれました。青年奉仕隊がくるごとにインフラを改良してくださいました。今回は、食堂を含む学校の周囲の柵を完成して下さり、学校がとても見栄えの良いどこにでも誇れる立派なものとなりました。教育が重要だと思う我々教師の心情と同じ心情を皆様がもっておられ、他の人を助けようとする皆様の心情が源となっていろいろ支援してくださることに心から感謝しております。

(パンタナール通信143号)
連載第8回
マルセリーノ・ゴンサレス
マルセリーノ・ゴンサレス
Marcelino Gonzales
9歳の女の子、8歳の男の子、2歳の男の子がいる。レダではスイミングプールのメンテナンスを長年やっている。

Q. 何歳ですか?
A. おそらく39歳だと思います。私が生まれたころは正式な届出制度がなかったので正確なものは分かりません。

Q. レダに働きに来てどのぐらいになりますか?
A. 10年以上になると思います。最初は、下水槽を掘ったり、柵を造ったりしました。

Q. プールの掃除をするようになってどのくらい経ちますか?
A. もう5年は超えました。

Q. そんなに長く同じ仕事なのですか!?
A. この仕事はとても根気のいる仕事です。水に浮かぶ落ち葉や虫やごみをまずすくいます。そしてプールの床にある汚れを専用のバキュームで丁寧に一筋ずつ吸い取っていかなければなりません。このプールは屋根がないので一日でもそれを欠かすとすぐに汚れてしまうのです。朝来てみると表面が虫でいっぱいの時もあるのです。プールに対する愛着とこだわり、そして根気がないと難しいと思います。また一人なので、適当に手を抜くことも可能なのです。それ故、誰でもいいというわけではありません。

Q. プールの掃除をするようになってどのくらい経ちますか?
A. もう5年は超えました。

Q. レダで働いて印象に残ることは?
A. やはりここに大統領がやってきたことです。それまではテレビでしか見たことはなかったですから。

Q. レダで働くことに満足していますか?
A. ここでは酒を飲まない、盗みをしないなどの規則がありますが、その故に他の職場とは違って、何の争いもなく平和に生活を送ることができることにとても満足しています。また皆が自分を信頼してくれているのでそれを裏切らないよう、その信頼に応えられるように精一杯努力していきたいと思っています。

(パンタナール通信142号)
連載第7回
ビクトル・ソーサ
ビクトル・ソーサ(52)
Victor Sosa
インディヘナ(先住民)で、エスペランサ村在住。レダの最古参従業員の一人。一人息子ビクトリーノ(Victorino)は、レダでトラクターを運転する第一人者である。

Q. レダに働きに来たのは1999年でしたね!
A. あまり正確な年代は覚えていません。ここに来た時、日本人ばかりが10人ぐらいおられました。梶栗氏とか藤原氏を覚えています。私たちインディヘナが数人最初に手伝いに来ました。

Q. その頃のレダの状況はどうでしたか?
A. 草や木が生えている原野という感じで、その草や木をマチェテ(現地の鎌)や斧で切っていきました。そこに今の公館や日本人の住む館を建てる土台を作りました。土も一輪車で何度も運んできたのを覚えています。排水のための溝を掘る作業も私たちがやりました。

Q. 息子さんがレダになくてはならない人になりましたね!
A. 息子はここで働けることをとても誇りに思っています。私はもう引退していますが、塗装の技術を持っているので、ペンキ塗りが必要な時だけお手伝いに来ています。

Q. レダは大きく変わりましたね!
A. 今はとてもきれいになり、みんながうらやむ場所となりました。その土台を作ることに最初に貢献できたことを誇りに思っています。

(パンタナール通信140号)
連載第6回
ビクトル・ガビラン
ビクトル・ガビラン(37)
Victor Gabilan
4児の父(11、10、7、8ヶ月)ビクトルさんは一年前、植樹プロジェクトのためにレダに来ることになった。 当地レダは、首都アスンシオンから900kmの距離、ここで活動してくれる人を探すのは容易ではない。妻と4人の子をアスンシオンにおいて単身赴任。家に2~3ヶ月に一度帰るのみ。彼は毎朝4時に起きて家族のために祈ることを欠いたことがない。植樹プロジェクトといっても大半は雑草取りの地味な仕事。蚊よけの網をかぶりながら黙々と一日中雑草を取り続けている姿は、私たちを感動せしめる。

Q. レダに来られたのはいつですか?
A. 昨年の一月です。

Q. ここに来ようと思ったきっかけは?
A. 自分の持っている知識や経験を人々のために生かす事ができればと常日ごろから思っていました。これが天が私に与えたその機会であると感じたからです。

Q. どんな知識、経験ですか?
A. 私は育った家が農家で25ヘクタールの土地を持っていて、綿花、タバコ、ゴマ、オレンジなどの果樹を栽培していました。それを子供のときからずっと手伝っていました。でも、あまり大きな収入には結びつかず、結局すべてを手放してしまうことになりました。

Q. レダに来てどういう風に感じていますか?
A. 自分が大きなことに役立っていることがとても嬉しく感じています。

Q. レダで最も大変と感じることは?
A. 妻が家庭で孤軍奮闘していることです。できれば辞めて帰ってきて欲しいとも言われます。(笑)

(パンタナール通信139号)
連載第5回
パブロ・チャベス
パブロ・チャベス(50)
Pablo Chavez (43)
3児の父(7歳男、6歳男、1歳女)奥さんと子供は現在ピラー(パラグアイ最南端の町)近郊に住む。メカニック技師、電気技師の資格を持ち、レダに無くてはならない大黒柱として現在活躍中。

Q. レダに来るようになって10年が過ぎましたね!
A. はい、最初はメカニックで金子さんの助手として、その後、電気関係は小田さんのお手伝いをしていましたが、現在2人のお方がおられないので、今はすべて自分が責任を持たなくてはならなくなりました。時間が経つのがすごく速く感じられます。

Q. レダで大変だと感じること、または今まで大変だったことはどんなことですか?
A. 妻や子供たちと離れて住まねばならないこと。また、何度も住む場所を変えなければならなかったことです。初めはコンセプシオン市に住んでいましたが、都合でエステ市に引越し、そこも都合が悪くなり、アスンシオン市に引越し、そして現在はアスンシオンから350km離れた自分の実家があるピラー市の近郊に落ち着いたのですが、とても遠く、船だと3日はかかります。親戚を含む多くの人から、なぜ家族の近くで面倒を見ないのかと責められました。でも自分にとって幸いだったのは妻が自分を支えてくれたことです。

Q. そんな大変な状況のなかで、レダで仕事をしていてどのように感じていますか?
A. 非常に満足しています。何故なら、ここにいることによって自分が、とても守られていることを感じるからです。また、インディヘナの人々と仕事をし、この辺境の地の村の人々の為に尽くせるのもやりがいがあります。そして、人を感銘させる活動の一端を担い、自分がしていることに誇りを持てることが一番すばらしいことだと思います。

(パンタナール通信138号)
連載第4回
マグノ教授
マグノ・バレト(43)
Magno Barreto
3女の父(16歳、9歳、3歳)アスンシオン大学獣医学部水産学科教授、博士

Q. 水産学科での専門分野は?
A. 私の専門分野は、パラグアイに自生する魚の孵化です。私は水産学科に関わって20年になり、博士号は2004年に取得しました。

Q. 大学の内外において、様々な責任をお持ちなのですね?
A. 国内では農牧省とパクーなどの養殖プロジェクトを進めており、アルゼンチンとの養殖プロジェクトの委員にもなっており、台湾との孵化事業も私が中心になって進めています。また色々な養殖業者のアドバイザーをも勤めています。

Q. レダに関わられるようになったのは?
A. 2010年、レダ財団から大学に対してパクー養殖の協力要請があり、学科長と共にここを訪れたのが最初です。2011年1月には、パクーの稚魚を5000匹持ってきました。2012年暮れからは、毎年、年末に孵化のために1週間ほどここに来ています。

Q. 今年の目標はどこにおいておられますか?
A. 今年はレダで孵化を始めて3年目ですが、孵化自体はほぼノウハウを取得されたと思います。今年は孵化してから稚魚となるまでの1週間の管理のノウハウをしっかり確立したいと思っています。

Q. レダに来られての印象は?
A. 自分はレダがパラグアイの養殖の発展に貢献しようとしている姿勢に非常に感銘し、また、インディオのコミュニティーや地元の産業の発展に貢献しようとしている姿勢に非常に共感を覚えます。さらに、レダの人たちの真剣さ、勤勉な姿勢にとても心を打たれ、また私がしたいことをすべて叶えようと真剣に対処してくれるのでここに来ることが自分にとって非常な喜びになっています。皆さんと協力して大きな成功をあげていきたいと心から願っています。

(パンタナール通信137号)
連載第3回
フランシスコ・ビジャルバ
フランシスコ・ビジャルバ(52)
Francisco Villarba
6人の子供(29歳娘既婚,27歳息子既婚,25歳息子,23歳娘,21歳息子,19歳息子)

Q. 来年、警察官を退官すると聞いていますが・・?
A. その通りです。来年12月で警察官になって30年となり、退官します。

Q. その間、色々な体験をお持ちでしょうね!
A. アルトパラグアイ州の中の色々な町に赴任しました。以前は車も無く、道も整備されていなかったので、馬で何十キロも行かねばなりませんでした。事件があれば何日もかけてその場所に行くのが常でした。

Q. レダにはいつ頃来られたのでしたか?
A. 2004年の7月にここに赴任し、今年で10年になります。

Q. レダでの生活は?
A. ほとんど事件らしい事件も無く、本当に静かな生活です。ラジオでニュースは欠かさずに聞くようにしています。また時間があるので、警察所の裏に菜園を造って野菜を育てたり、健康のためにウォーキングを毎日しています。

Q. 世界中の警察が皆そのようになればいいですね?
A. その通りです。でも警察官が失業しそうです。

Q. レダにこられての印象は?
A. ここの日本の人はとても勤勉で正直な人達なので、本当に信頼ができ、また何かを依頼してもすぐ応えてくれるので、とても気持ち良く生活出来るところ、というのが自分の素直な感想です。またレダの特徴はインディオの人たちと仕事をしていることですが、アルトパラグアイ州のどこの牧場に行ってもインディオの人たちをこれほど使っているところはありません。そういう意味では本当に皆さん方はインディオの人たちを助けておられ、その事自体とてもすばらしいことだと思います。

(パンタナール通信136号)
連載第2回
マリオ・コロネル
マリオ・コロネル(54)
Mario Coronel
3人の子供。レダにおける唯一の家庭で、以前は牧童の立場で、長い間、牛の面倒をみてきたが、現在は馬、豚、羊などの家畜の面倒をみる担当。

Q. いつ頃レダに来ましたか?
A. 自分がまず最初に来たのはレダの初期のころで、建築のために来ました。雑草を刈って整地していったのを覚えています。そして、公館の柱のための穴掘りをしたり、海軍支所の建築の手伝いをしました。

Q. そのころのレダは今のレダとは大違いですね!
A. ええ、そのころはレダがこのようになるとは、想像だにしませんでした。

Q. マリオさんはレダの歴史の生きた証人ですね。
A. そのころからずっと今までここにいさせてもらってとても感謝しています。自分には何の不満もありません。

Q. レダで働いて感じていることは?
A. ここに外国の訪問客や政府の要人などが度々訪問してきますが、その時にいつも肉を焼いて(アサド)ふるまうのが私の役目です。それをとてもうれしく誇りに思っています。

(パンタナール通信135号)
連載第1回
ベニータ
ベニータ・ゴンサレス(50)
Benita Santos Gonzales
10人の子供(一番下が13歳、一番上が35歳)台所担当

Q. 誕生日がパラグアイの独立記念日ですね!
A. その通りです。私は独立記念日のお祭りの日に生まれました。

Q. レダに最初に働きに来たのはいつですか?
A. 2002年の終わりにレダに来ました。2003年の新しい年の始めの祝日を一緒に過ごしたのを覚えています。

Q. レダに働いてどんなに感じていますか?
A. とても感謝しています。お金をもらえるだけでなく、モラルがとても高いので自分にもとてもためになります。自分たちの子供に対する教育にも最高のところだと思います。今も、レダに働き始めたときにもらったレダでの内規を持っています。それで自分たちの子供も教育しています。それ故、レダの人たちのためになら、なんでもしてあげたいと思います。疲れていても誰かにお願いされれば喜んでやります。

Q. 何か印象に残っている体験がありますか?
A. 自分が健康のために一時ここを辞めなければならなくなったとき、皆で会食会をしてくれて自分が辞めるのをとても惜しんでくれたことです。

(パンタナール通信134号)
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